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ジェリーマギーが作曲を手掛けた日本の曲は?脱退再加入の理由は?

What Japanese song was composed by Gerry McGee?

数多くの来日公演を行い日本にエレキブームをもたらしたベンチャーズのギタリストのジェリーマギー。

彼は日本でヒットした有名な歌謡曲の作曲も手掛けていることをご存知でしょうか?

そんなジェリーマギーはベンチャーズから一度脱退をし、後に再加入をしています。

今回は“ジェリーマギーが作曲を手掛けた日本の曲は?脱退再加入の理由は?”について調べてみますね。

ジェリーマギーが作曲を手掛けた日本の曲

ジェリーマギーがベンチャーズに最初に加入した1960年代後半から1970年代前半にかけ、ベンチャーズは日本を意識した歌謡曲をいくつも作曲しています。

まず1966年、銀座の夜景をイメージして書いた「GINZA LIGHTS(後の「二人の銀座」)」をリリースすると大ヒット。

日本の作曲家よりも日本人の心に染みわたるメロディーに、日本国民は心を鷲掴みにされました。

この時作曲を手掛けたのはボブ・ボーグル、ドン・ウィルソン、ノーキー・エドワーズ、メル・テイラー。

それを皮切りにベンチャーズは数々の歌謡曲を作曲、ジェリーマギーも「京都の恋」「京都慕情」「長崎慕情」「雨の御堂筋」などを手掛けました。

ジェリーマギーの父親はケイジャンミュージック界では名の知れたヴァイオリン奏者でもあり、ジェリーマギーは幼少期から父親の影響でケイジャンミュージック、カントリー、ブルースなどにも慣れ親しんでいたようです。

ケイジャンミュージックとは

フランス系移民ケイジャンによるダンス音楽のこと。
主にアコーディオン、バイオリンなどの弦楽器、ギター、打楽器の演奏に合わせて歌いながらダンスをするものです。

どんな音楽なのかと聴いてみたのですが、ケイジャンミュージックで有名な「La Danse de Maedi Gras」という曲と「京都の恋」がなんだか似ているように感じるのは気のせいでしょうか。

ジェリーマギーが脱退再加入の理由は?

ジェリーマギーがベンチャーズに加入したのは1968年でした。

ノーキー・エドワーズの脱退に伴いベンチャーズと人脈のあったジェリーマギーが誘いを受け加入。

そこから作曲にも携わったものの、1972年にベンチャーズを脱退しスタジオやセッションなどの活動に転向しました。

また、同じく脱退していたメル・テイラーから声を掛けられ、1973年に「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」を結成。

しかし評価はそれほど得られませんでした。

1984年、ボブ・ボーグルが急病のため、サポートとしてベンチャーズのツアーに参加しノーキー・エドワーズと交代で演奏。

その翌1985年ノーキー・エドワーズはベンチャーズを離れることとなったためジェリーマギーは再加入し、2017年までリードギタリストとして活動を続けました。

ジェリーマギーの経歴やプロフィール

出生名  Gerald James McGee

生 誕  1937年11月17日

出身地  アメリカ合衆国ルイジアナ州ユーニス

死 没  2019年10月12日(81歳没)

ジャンル インストゥルメンタル

     ロック 

     ブルース・ロック

     ケイジャン

職 業  ギタリスト

     シンガー

担当楽器 エレクトリックギター

     ベース

ジェリーマギーが作曲を手掛けた日本の曲は?脱退再加入の理由まとめ

〇日本の歌謡曲「京都の恋」「京都慕情」「長崎慕情」「雨の御堂筋」などを手掛けた

〇1972年にスタジオ、セッションに転向のため脱退

〇1984年に急病のボブ・ボーグルの代わりに参加してから再加入に至る

以上、“ジェリーマギーが作曲を手掛けた日本の曲は?脱退再加入の理由”についてまとめました。

ジェリーマギーは一度脱退の後に再加入という経緯があるものの、ベンチャーズの顔といってもいいほどの存在です。

そんな彼が馴染みのある日本の歌謡曲を手掛けていたことに驚いた方もいるのではないでしょうか。

この機会にジェリーマギーの曲を聴いてみるのもいいですね。

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