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開高健の娘開高道子はなぜ死んだのか?嫁牧羊子との確執はあった?

Why did Takeshi Kaiko's daughter Michiko Kaiko die?

多彩な才能があり、太く短く生きた文豪・開高健ですが、嫁・牧羊子さんとの関係は複雑で「偉人に悪妻あり」という言葉を体現したような人生だったようです。


開高健の家族は嫁・牧羊子さんと、娘・開高道子さんの3人家族でした。

開高健の著書では、家族に関しての表現が非常に少ないのはなぜでしょうか。

また、悲しいことですが開高健の娘・開高道子さんは、なぜか自らの人生に終止符を打ちました。
日本を代表する文豪の家族は幸せではなかったのでしょうか。

ここでは、文豪・開高健の家族に関して調べてみました。

開高健の娘道子はなぜ死んだのか?

開高健の娘・開高道子さんは1952年に大阪府に誕生しました。

慶應義塾大学卒業後、エッセイストや翻訳家として活動していました。

これからの活躍が期待されていたのですが突然、自らの手で人を終わらせます。

ここでは、その理由について調べてみました。

作家・開高健が死去してから5年後の1994年に開高道子さんは、自らの手で人生を終わらせました。

その理由は何だったのか。色々と調べましたが、この件に関する情報は非常に少なく、推測するしかないようですね。

開高健は自著の中で自身がうつ病であると告白していて、作家活動に支障が出ていたようです。

うつ病はある程度遺伝性があるため、娘・開高道子さんへの影響を心配していたようです。

推測するに
結局、開高健の持病である「うつ病」が遺伝して最悪の結果になってしまったのか。

あるいは、自分の能力に限界を感じたためではないかなど、様々な噂があります。

開高道子さんが自ら命を絶ったのは、父親である開高健が死去してから5年後の事です。


道子さんは茅ケ崎の踏切で鉄道自殺となっているようですが、妻・牧羊子さんは「道子は事故だった」と、生前主張していたようです。

開高健の嫁牧羊子との確執

開高健と妻・牧羊子の関係は開高の著書だけではなく、友人の谷沢永一がその著書でかなり辛辣な言葉を使って表現しています。

妻・牧羊子鬼伝説は谷沢永一が広めたのかもしれませんね。

ただ、実際に開高健と妻・羊子さんは取っ組み合いのケンカをしていたのは事実のようです。

このような夫婦関係でも開高健は離婚という選択をしなかったのはなぜでしょうか。
不思議に思ったので調べてみると意外なことが分かりました。

開高健の言動から妻・牧羊子さんは、開高健が創作する作品作りの原動力ではなかったのではないかと思われます。

開高自身も「悪妻は必要」などと言っていたようですね。

また、開高健の今があるのは妻・牧羊子さんがいたからこそかもしれません。


開高健と牧羊子さんの出会いは、同人誌「えんぴつ」の仲間から結婚に至ります。結婚までの過程では一悶着あったようですが。

当時、牧羊子さんは壽屋(現・サントリー)に勤務しており、開高健が壽屋に入社するきっかけを作り、開高健の才能を開花させた裏方だったわけです。

開高健の行動力のエネルギーは妻・牧羊子さんから逃げ出すこともありますが、実は鬱から脱出するためだったようです。

文豪と言われた開高健であっても「うつ病」と戦いながら執筆はできなかったようですね。

妻・牧羊子さんは「稀代の悪妻」とまで言われていますが、実際にはどうだったのでしょうか。
開高健の編集担当だった島地勝彦さんが開高健の葬儀後、しばらくして羊子さんを訪ねた時に、牧羊子さんから開高健を大切に思う気持ちが伝わる言葉を聞いたようです。

そう考えると、羊子さんの本心は開高健を思う気持ちが強かったのではないでしょうか。

開高健や嫁・娘の没年

残念なことですが文豪・開高健の家族は全員お亡くなりになっています。

開高健が終の住み処とした茅ヶ崎の自宅は親族によって茅ヶ崎市に寄贈されました。

開高健の家族は開高健、牧羊子さん(妻)、道子さん(娘)の3人家族でした。
ここでは、開高健家族のプロフィールについて調べてみました。

開高健のプロフィール

「回想開高健」谷沢永一著による牧羊子の悪妻ぶりを読んでみる?(楽天ブックス)

氏名 開高健(カイコウ タケシ)
生年 1930年
没年 1994年(59歳)
職業 小説家
学歴 大阪市立大学
デビュー作:パニック


代表作・受賞歴
1958年 「裸の王様」で芥川賞
1968年 「輝ける闇」で毎日出版文化賞
1979年 「玉、砕ける」で川端康成文学賞
1981年 「第二十九回菊池寛賞」(ルポルタージュ文学確立の功績)
1987年 「耳の物語」で日本文学大賞

芥川賞受賞した「裸の王様」を購入できます^^

開高道子のプロフィール

氏名 開高道子(カイコウ ミチコ)/開高健の長女
生年 1952年
没年 1994年(42歳)
職業 エッセイスト
学歴 慶應義塾大学


代表作

    1981年 マイノート・クッキング4 (鎌倉書房)
    1986年 おしゃれサラダ(新潮文庫)
    1983年 不思議のエッセー(新潮社)
    1985年 ジャムの壷から跳びだして(角川書店)
    1985年 風説食べる人たち(新潮社)
    1986年 絵のある博物館(保育社)
    1994年 父開高健から学んだこと(文芸春秋)

開高道子著 「父開高健から学んだこと」※楽天ブックスは只今売り切れ中でした。
この本は、開高道子さんがお亡くなりになった年に出版されている本です。

開高羊子のプロフィール

氏名 開高羊子(カイコウ ヨウコ)/開高健の妻
生年 1923年
没年 2000年(77歳)
職業 詩人、エッセイスト
学歴 奈良女子大学


代表作

1954年 コルシカの薔薇 詩集 (創元社)
1977年 天使のオムレツ ロングセラーズ(あまカラ選書)
1982年 天使のオムレツ 詩集 (弥生書房)
1995年 夫開高健がのこした瓔 (集英社)

詩集天使のオムレツは、牧羊子さんが59歳ころの作品です。※楽天ブックスは現在欠品でした。

開高健さんの娘も奥様も皆さん、文筆に携わる仕事をしていたご家族ですね。

開高健の娘開高道子はなぜ死んだのか?嫁牧羊子との確執は?まとめ

開高健の娘である道子さんですが、1994年、茅ヶ崎の踏切で鉄道事故により死亡しています。

色々調べてみると事故死としている情報もあれば、目撃者まで現れて自ら線路内に侵入するところを見たなど様々な情報で溢れています。

おそらく遺書などがない状況から見て自殺だったのではないでしょうか。

開高健は自著の中で家族の関係が殺伐としていることを書いていますが、娘・開高道子と嫁・牧羊子の関係についてはほとんど書いていません。

自著の中では開高健が旅行から帰ると、女二人で開高を罵っていたことなどが僅かに書かれています。

道子さん自身がうつ病を患っていたという情報はありませんでした。

これは本人が告白しなければわかりませんよね。また、道子さんはエッセイストや翻訳家として実績もあり将来的に何も問題がないようでした。

しかし結果的に自ら命を絶ったということは、少なからず父親の遺伝が影響したのかもしれません。

開高健を勝手に師と仰いでいる作家は多いようです。

しかし、師を越えた作家はいるのでしょうか、もしそのような作家がいるのであれば、そのような作品に出会うことを楽しみにしたいと思います。

「オーパ!」は、開高健が40代のころ。ブラジル、アマゾン川やアラスカなど海外での釣り日記的なもの。豪快な釣り状況など。

釣り本をまとめた「オーパ! 完全復刻版」もあるようですね。
海外で釣りをするなど、よほどの釣り好きなんだろうか?まずは本を手に取ってみようか。

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