長谷川町子さんには、姉や妹がいますが、どうやら確執があったようです。
それぞれに個性的な性格だったと言われている姉と妹は、どんな経歴を持つのでしょうか?
今回の記事では、長谷川町子さんと姉や妹の間での確執、姉や妹の性格や経歴についてまとめていきたいと思います。
長谷川町子と姉との確執
1946年(昭和21年)。『サザエさん』の連載を始めて間もない頃の長谷川町子です。
— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) February 18, 2018
この翌年に出したB5横長サイズの単行本第1巻が全く売れず、出版取次業者から出入り禁止にされたという話が有名ですね。母親や姉に支えられ、再び資金を調達して第2巻をB6縦長サイズで出したら今度は売れたそうです。 pic.twitter.com/bVvu6mKMdR
長谷川町子さんは3人姉妹の次女であり、上には、3歳年上の姉・毬子さんがいます。
毬子さんは、長谷川町子さん原作のNHK朝ドラ『マー姉ちゃん』のヒロイン、磯野マリ子のモデルにもなっていますね。
毬子さんはご主人を亡くした後は、妹の町子さんの漫画家としての活動を支え続けました。
『サザエさん』を出版するために、2人で姉妹社の設立をしています。
昭和22年に出たサザエさん初版本復刻版。長谷川町子が姉と立ち上げた姉妹社の第一作でしたが、横とじのため書店に並べづらいという理由で返品が相次ぎました。
— 愛書家日誌 (@aishokyo) January 30, 2021
📷長谷川町子美術館https://t.co/WTre1eBD2I pic.twitter.com/h8VSKVWX2j
長谷川町子さんは、博多弁が抜けなかったこともあり、人づきあいや公の舞台への出席が苦手だったのですが、毬子さんは、妹の代わりに仕事の依頼を受けたり、作品の管理をしたりしていました。
長谷川町子さんの没後は長谷川町子美術館の二代目館長に就任しています。
生涯独身だった長谷川町子さんと、わずか一週間の結婚生活で未亡人となってしまった毬子さんは、長い間二人暮らしをしてきました。
長谷川町子さんの人生には、毬子さんの力強いサポートがあったことは疑いようがないことで、2人は強い絆で結ばれていたようですね。
確執とは無縁の印象です。
長谷川町子の性格と妹
BSのマー姉ちゃんが始まって、にわかにマイブームとなった、長谷川町子❣️
— 帰ってきたカズノコ (@naturalbornboku) October 6, 2021
たしか高校ぐらいだったか、姉に貸してもらった、サザエさんうちあけ話が、えっらい面白くて、いつか自分で買おうと思って思ってずーと経って…今日買いました✌️
自分で読むのはもちろんだけど、子ども達も読むといいな。 pic.twitter.com/ykXAhU3x7d
長谷川町子さんには、5歳年下の妹である洋子さんがいました。
洋子さんの娘で、文筆家の長谷川たかこさんは、長谷川家の女性たちはみな男勝りで気が強く、自己主張が激しいと言っています。
長谷川家の女性は、みなさん芸術家として成功されていますし、家庭に男性がいないこともあり、なめられたくないという思いが強かったのでしょうね。
かつて、世田谷にある長谷川家には、お母さんと未亡人になった姉の毬子さん、生涯独身だった町子さんが暮らしており、洋子さん一家は、長谷川家の敷地の離れに暮らしていました。
しかし、洋子さんの夫が病死した後は、洋子さんも娘さんたちとともに、町子さんたちとともに生活するようになります。
時は流れ、新居の建築のタイミングで、洋子さんは長谷川家を離れることを決意。
60年近く暮らした長谷川家から出ていく洋子さんのことが、毬子さんと町子さんは許せなかったようです。
この一件で、洋子さんと2人の姉は絶縁状態になりました。
毬子さんは洋子さんからの手紙を封を開けずに送り返していたというくらいで、町子さんの死去の際にも、毬子さんは近親者に「洋子に知らせてはならない」と言っていたそうですから、相当な確執ですね。
妹洋子さん一家は、長谷川町子さんの莫大な遺産相続の権利を放棄しています。
長谷川町子さんと洋子さんの確執というよりは、毬子さんと洋子さんの確執に町子さんは巻き込まれていたという印象ですね。
長谷川町子の姉毬子経歴とプロフィール
今日は長谷川町子さんの生まれた日。
— 文藝春秋 文藝出版局 (@BunshunBungei) January 29, 2021
町子姉は悪ガキで、甘えん坊でした――。
実の妹がありのまま綴った長谷川町子の素顔と、波瀾万丈で賑やかな昭和の家族のくらし。
『サザエさんの東京物語』(長谷川町子)https://t.co/OVigGzwRT6#今日読みたい本
長谷川 毬子(はせがわ まりこ)さん
— 🌓🌓🌓🌓🌓ゑみ子/EMI Hn꒰(๑´•.̫ • `๑)꒱IDと長寿と繁栄を🖖簿記三級 (@EmicoHn) October 8, 2021
漫画家の長谷川町子さんの姉
2代目長谷川町子美術館館長
元・姉妹社社長
マー姉ちゃんのモデルとなった方ですが、筑紫女学園のご出身なんですね❗️
知らなかった✨😊✨
長谷川町子さんの姉・毬子さんの経歴とプロフィールを紹介します。
長谷川町子さんの姉・毬子さんは94歳まで生きましたから、女性の平均寿命を大きく上回った長生きでした。
名 前 長谷川 毬子(はせがわまりこ)
生 誕 1917年(大正6年)8月8日
死 没 2012年1月29日(94歳没)
出身地 佐賀県小城郡東多久村(現・多久市)
出身校 筑紫女学園
職 業 挿絵画家 実業家
活動期間 1938年 - 2012年
長谷川毬子さんは、画家でイラストレーターなのですが、元姉妹社社長で、2代目長谷川町子美術館館長を務めた実業家でもあります。
上京したばかりの毬子さんは油絵が得意だったので洋画家の藤島武二に弟子入りをしました。
作品は、すぐに菊池寛の目にとまり、挿絵画家として活動するようになります。
ご主人は、朝日新聞社記者の東学さんだったのですが、わずか1週間の結婚生活で夫は出征し、インパール作戦で戦死してしまいました。
その後、毬子さんは生涯独身を貫き通しています。
戦後は、画家の仕事を辞め、長谷川町子さんの漫画家活動を支えることに専念。
長谷川町子さんと共に姉妹社を創業し、『サザエさん』を大ヒット漫画へと育てました。
1985年には、長谷川美術館を開館し、町子さんが初代館長を務めましたが、町子さんの死後は、美術館の二代目館長に就任。
94歳で亡くなるまで、任務に務めました。
長谷川町子の妹洋子経歴とプロフィール
福岡市早良区サザエさん通りなう。
— Hiroki_Sato (@HirokiS28) February 1, 2020
何と、サザエさんてここで生まれたんだ。
長谷川町子さんが若い頃、ここに住まわれ、病弱の妹さんと海岸を散策したり…
その家の跡が広場になっている。
東京世田谷区の桜新町の家がモデルになったのは随分後の話しかな。 pic.twitter.com/fn0fogTuLt
長谷川町子氏の妹である長谷川洋子氏は、もともと幾何などの数学が得意で大学も理系を希望していたのだが、姉に「嫁にいけなくなる」と国文科へ進まされ、菊池寛に「面倒見てあげる」と大学も中退させられ文藝春秋に入社した。60歳を過ぎて実家を出て出版業を始めると、姉二人からは絶縁。
— MAE (@CHE_M26_7) January 27, 2020
長谷川町子さんの妹・洋子さんの経歴とプロフィールを紹介します。
長谷川町子さんの妹・洋子さんは、2022年2月現在、逝去したという情報もないのでご存命のようですね。
名 前 長谷川 洋子
生 誕 1925年(大正14年)
生誕地 福岡県
職 業 実業家
団 体 彩古書房
肩書き 彩古書房創業者
配偶者 鹿島 隆
子 供 長女:長谷川 隆子(文筆家・長谷川 たかこ名義で活動中。)
次女:長谷川 彩子
孫:カミーユ=彩瑛・長谷川・ロワイエ(イラストレーター)
8歳の時に家族とともに上京し、東京女子大学国文科に進学しています。
しかし、大学時代に菊池寛に弟子入りし、菊池の勧めで大学を中退、無試験で文藝春秋に入社しています。
お姉さんたちが設立した姉妹社の『サザエさん』の出版業務に携わっていましたが、1985年には彩古書房を設立し、児童心理学の本を数多く出版しました。
また、お姉さんたちと長年同じ家に住んでいましたが、新居を建てた契機に家を出たために、晩年は絶縁状態に陥ってしまいました。
長谷川町子姉との確執とは何?性格や姉妹の経歴プロフィールまとめ
#サザエさん 生誕100年 #長谷川町子 さんを振り返る
— ねねこ (@55koneko55) March 1, 2020
長谷川さんの漫画を展示する長谷川町子記念館が4月、自宅があった東京都世田谷区に開館する。長谷川町子美術館の分館で、開館記念の企画展「長谷川町子の漫画創作秘話」も6月28日まで開かれる予定となっている。
https://t.co/ixbRmCoDLc
今回は、長谷川町子さんと姉妹の確執、姉妹の性格や経歴、プロフィールについてまとめました。
長谷川町子さんは、姉の毬子さんとの関係は良好で、生涯支え合って生きてきたようですね。
しかし、妹の洋子さんとは晩年は絶縁状態となり、確執がありました。
姉妹の距離が近すぎたゆえの不和であり、なんだか寂しいですね。
長谷川町子の母親は天然だった?母の性格など