日本のエレキギターの第一人者として活躍されていた寺内タケシさんが、2021年に肺炎で亡くなられました。
寺内タケシさんの奥さんや息子さん、実家のご父母は、どんな方だったのでしょうか?
今回の記事では、寺内タケシさんの奥さんや息子さん、実家のご父母の方々がどんな方なのかについて、まとめていきたいと思います。
寺内タケシの奥さん
奥さんの名前を冠したオリジナルのモズライトと、脳腫瘍摘出の再手術後4日目にギターを弾く僕のYouTubeを見て感激して下さった、なんでも鑑定団の北原照久さんからプレゼントされたお宝エレキ、寺内タケシモデルYAMAHA TBJ CST#愛機を乗せると沢山RTがもらえて沢山フォローしてもらえる #ギター #楽器 pic.twitter.com/f1YNM2dyAd
— atsushi_beatpops (@the_beatpops) January 5, 2021
寺内タケシさんの奥さんは、寺内由利子という名前です。
奥さんについては、年齢や職業などは、明らかになっていないため、一般の方かと思われます。
ただ、奥さんも寺内タケシさんのライブを訪れることはあったそうなので、もしかしたらファンの方なら顔をご存知なのかもしれませんね。
奥さんの年齢についての予想ですが、息子さんが58歳(2022年2月現在)、寺内タケシさんが享年82歳(2021年没)ですから、やはり現在は80代の方である可能性が高いと思われます。
寺内タケシさんが24歳ころに息子さんが生まれていますから、奥さんの寺内由利子さんが同年代とすると、そのころだと早婚だったのではないでしょうか。
寺内タケシの息子
寺内アキラさん
— 大森隆志 (@omoritakashi) January 18, 2022
ご存知、寺内タケシさんの息子さんであり、寺内タケシとブルージーンズのリードボーカリストです。
歌もとても素晴らしく、寺内タケシさんとDNAが同じなんだなと感じざるを得ません。そんな彼と、この春4月一緒にLIVEをやることになりました。
詳細については、後日発表いたします。 pic.twitter.com/jHuFAqH8ij
寺内タケシさんの息子さんは、寺内章(てらうちあきら)と言います。
寺内章さんは、1963年4月6日生まれで、58歳です。(2022年3月現在)。
出身地は、神奈川県横浜市になります。
日本大学法学部卒業後、音楽活動と並行して、俳優としての活動もしていました。
1992年には、父である寺内タケシさんプロデュースのイケイケガールズの楽曲『イケイケ江ノ島』の作詞作曲を担当したこともありました。
寺内章さんにも、お父さんに負けず劣らずの天性の音楽センスがあったのですね。
そして、1999年には『寺内タケシ&ブルージーンズ』に加入し、お父さん同様、バンドシンガーとして活躍をするようになります。
しかし、2002年2月18日、寺内章さんは、覚醒剤取締法違反(使用)で逮捕されてしまいます。
懲役1年6月、執行猶予4年の有罪判決となりました。
寺内章さんは、声の伸びや響きが美しく、バランスの良い歌唱力に定評のあるボーカリストなのですが、有名人の息子ならではの苦悩があったようで、薬に手を出してしまったようですね。
その後、2019年には、再び『寺内タケシ&ブルージーンズ』に復帰。
バンドシンガーとして、再びステージに上がりました。
今では、バンドのメンバーとして欠かせない存在となっています。
寺内タケシの実家の父母
自分のアコーステックギターが母の三味線に音量で負けたからエレキギターへ転向した話が好き。合掌
— mahkun (@_mahkun) June 19, 2021
エレキの神様 寺内タケシ氏死去#Yahooニュースhttps://t.co/x9gjFN4G1y
【まいぷれ】 [北海道滝川市][イベント]寺内タケシとブルージーンズ: 5歳にしてギターを手にし、母の三味線に合わせて手ほどきを受け、電話のコイルを使ってエレキギターを作成、県立土浦三高ではマンドリンク... https://t.co/s0hliDuQBK #event
— まいぷれ全国各地のイベント情報 (@mypl_event) May 16, 2016
寺内タケシさんのご実家はその当時とても裕福なご家庭だったようです。
寺内タケシの父
寺内タケシさんのお父さんは寺内龍太郎という方で、戦前より電気、建設、映画館、不動産などの事業展開をしており、土浦市の市議会議員を8期、市議会議長を3期務めていました。
お父さんが地元の権力者であったということもあり、寺内タケシさんは、土浦ではどこに行ってもお金を使った思い出がほとんどないというからびっくりです。
「寺内です」と名乗れば、本屋に行ってもレストランで食事をしてもツケがきいたのだとか。
また、学校の成績が悪かった寺内タケシに業を焼いていた父は、タケシが入る高校を設立してタケシをそこに入学させました。
父親が設立したのは、茨城県立土浦第三高等学校です。
父親は、その後大学に入学したタケシさんを、ご自分の事業を継がせるために別の大学に編入させましたが、それに反して寺内タケシさんはギターの道に入っていきます。
寺内タケシさんに将来を期待していた父親から、お手伝いさん付きで一軒家を与えられましたが、やはり音楽の道を選んだようですから。
ご自身の思い描いたようにならないと父親の逆鱗に触れて一夜にして家も取り壊され、勘当されてしまいます。
一夜にして家もお手伝いさんも忽然となくなっているなんて、物語の中のお話のようです。
寺内タケシの母
一方、お母さんは鶴岡初茂という方で、小唄や三味線の家元であり、100人ほどのお弟子さんを持ち、かなり厳しい方だったとのこと。
寺内タケシさんは、幼い頃からギターに興味があり、5歳の頃にはお母さんの三味線をお手本にギターを練習し始めたのだそうですが、子供の手には、ギターの細い糸は痛くて傷だらけになったそう。
しかし、痛いと言って泣くと、「泣くほど辛ければやめろ」と言われ、母親に物差しで叩かれたのだそうです。
それでも続けたいと幼い寺内タケシさんが言うと、なんと、その傷ついた手に塩をこすりつけられたのだと言うので、びっくりです。
令和の時代なら問題になりそうなお母さんですが、そのころから寺内タケシさんのギターへの情熱が並々ならぬものだったことがうかがえますね。
当時実家にあった3台の電話のコイルを、家族に内緒でこっそり使ってエレキギターを考案したのは、紛れもなく寺内タケシさんです。
寺内タケシの弟
兄寺内タケシの訃報に接し、
— 土浦セントラルシネマズ (@CinemaTRE) June 20, 2021
皆様からの温かなお言葉に感謝申し上げます。
ずっと自慢の兄です。
兄ならではのリフ、奏でる音色はいつもとても気持ちが良かった!
『ギターは弾かなきゃ音が出ない』
LIVEとは再会出来たかな?🐕🦺
ゆっくり空から見守ってくれたらと、、
またハワイで会いましょう🌴 pic.twitter.com/3eeuTaDYLY
私の父も「寺内タケシさんは土浦出身でエレキの神様で凄かった」と良く話していました。
— きょうこ (@qjkUamscGymj1MW) June 19, 2021
寺内館長さんがお元気でいられるようこれからも映画を観に行きます。#寺内タケシ様 #エレキの神様#土浦セントラルシネマズ
寺内タケシさんには、出征したお兄さんのほかに弟さんもいらっしゃったようですね。
寺内タケシさんの父親は手広く事業をされていて、当時映画館も経営されていました。
土浦市内には他に6つの映画館があり、映画上映が盛んな街だったのでしょうか。
1963年(昭和38年)に土浦セントラルシネマズを寺内龍太郎(父)が個人で経営するに至っています。
その映画館を受け継いで土浦セントラルシネマズの館長をしているのが弟さんのようですね。
土浦セントラルシネマズの場所はこちら
〒300-0033 茨城県土浦市川口1−11−5
土浦セントラルシネマズは決して新しい映画館ではありません。昭和レトロを感じさせる哀愁のある映画館となっています。
寺内タケシの奥さんや息子は?実家の父は実業家で母も凄い家系まとめ
何度でも言う。
— 山野夢 功(やまのむ・こう) (@Yamanomu_Kou) May 1, 2016
寺内タケシ御大は日本ロックの偉大なる父「グレートファーザー」だ。
異論は認めない。 https://t.co/YYpFqdE8mE
今回の記事は、寺内タケシさんの奥さんや息子さん、実業家だった実家の父親や小唄や三味線の家元でスパルタな母親など、家族に関する情報をお届けしました。
奥さんについては一般の方なので情報はありませんでしたが、ご高齢になっていますがいまも(2022年3月)ご健在と思われます。
息子さんは、寺内章と言って音楽活動をされています。
また寺内タケシさんにはお兄さんのほかに弟さんもいらっしゃいました。
実家のご家族はかなり個性的な面々ですが、エレキの神様と呼ばれた寺内タケシさんを育んだ家族だと言われればなんとなく納得できてしまいましたね。
エレキの神様と言われた寺内タケシさんは、残念ながら2021年6月18日にお亡くなりになりました。死亡原因など詳細はこちら。